㈱クリスタル観光バス
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スタッフインタビュー

トレーラードライバーから転職。
ここではいろんな仕事があって毎日が面白いです。

山本 慧
観光バス運転手
2022年入社

▼入社までの経緯

22歳でけん引免許を取得、トレーラーで全国を走っていました。運転席後部で仮眠を取りながら、家に帰るのが2週間に1度ということもあり、いつしか子どもの頃から憧れだった観光バスに乗りたい気持ちが強くなっていました。遠足や修学旅行で当社のバスに乗ったこともあり、転職を決意。それも、路線バスではなく、大型の貸切り観光バスに絞って探したところ、初めにSNSで求人を見つけたのが当社で、とにかく行って見ようと応募。当時、観光バスはもっと経験を積んだドライバーがやる仕事で、敷居が高いと思い込んでいましたが、採用して頂きました。

2種免許は入社後に取得。それからは独り立ちまで研修の日々ですが、とにかく安全に、お客様に不安感を与えない運転を丁寧にご指導くださいました。
先輩方はスゴイと思います。先輩方とは入社当初、こちらから話しかけるのは少し気が引けましたが今では道がわからない、対応に困ることがあればすぐに連絡して相談できますし、何か聞けば必ず対応してくださるところがありがたいです。

▼まんべんなく仕事があり、安定して稼げています。

比較的新しい車両にも乗れて、学校の遠足や修学旅行、地元の団体旅行、中でも台湾やインドからのインバウンドのお客様が多く、京都や奈良にお連れしています。夏場は富士山麓のアミューズメントパークへのツアーバスが多かったです。
観光シーズンでは近畿圏1泊の温泉旅行にも走っています。ひとつのパターンを覚えれば、後は応用すれば良くて、いろんな所へ行けるのは楽しいです!

▼今後は

転職して労働時間がとても短くなりました。ホテルのベッドで仮眠もできますし、家族との時間が断然増えましたね。モチベーションは、やっぱりお客様降車の際におひとりお一人から「ありがとう」とお声がけ頂けるところ。とくに「快適だったよ」のお言葉が一番うれしいです。それと、がんばった分だけ評価いただき、賞与で還元して頂けています。
休みの希望が取りやすい点もお勧め。実際に育休を取った先輩もおられます。今後も家庭の充実を築きながら、定年まで走り続けたいです。

ここでなら、定年まではもちろん、定年後も走り続けたいと思っています。

塩谷 純司
観光バス運転手
2013年入社

▼入社の経緯

技術畑からの転職です。大型車両の整備士から大手電機メーカーの製造職へ、20年以上ずっと技術畑を歩いていました。整備士時代の仕事柄、大型免許は持っていましたが運転とは無縁。ひたすら技術を磨きましたが、メーカーの海外進出への動きが活発になり「日本の優秀な技術がどんどん流出する」ことが受け入れ難く、希望退職しました。

その時40代。当時製造職の求人はなく介護施設の募集だけが盛んで、介護の資格を取得。その時の講師の先生が「男性介護士の需要は少なく、せっかくの大型免許、2種も取ると良いですよ」と勧められて自費で2種免許を取得。その後多くの介護施設から採用通知を頂きましたが、当時受験生を2人抱えており、提示される給与ではとても家族が生活できないと思い、観光バス業界に舵を切りました。でも、乗務未経験で40代の私を面接してくれる会社はなく、唯一採用してくださったのです。

▼入社時の印象

とても社員思いで、風通しの良さを感じました。管理職の方や、社長とも冗談も交えて気さくにお話し頂ける。これまでなかったことでした。以来様々なお仕事を走らせて頂いて約10年目で諸事情により退職。大阪のインバウンド専門のバス会社に転職しました。
ほどなく感染症や世界情勢に左右され収入も不安定に…そして、その会社はクローズ、失業の憂き目に。意を決し、元上司に連絡、橋渡しをしてもらい社長面接の結果、再雇用して頂けました。以前の同僚も温かく迎え入れてくれたのは嬉しかったですね。

▼そして今

現在、インバウンドをメインに走らせてもらっています。家族は、仮に外国人の仕事がなくなっても日本人の仕事があるから「ハイブリッド」でいいじゃないと言ってくれます。観光シーズンには2泊3日の関東や山陽など、「若手1人ではちょっと無理なので、連れて行ってあげて」と、私をつけてくれます。他にもスキーバスや修学旅行など、私、けっこう仕事が多くて、おかげさまで安定して稼がせてもらっています。

観光バス運転手のイメージを、「楽しい」「面白い」へと導きたい。

多田 良治
運輸課長
1990年入社

北海道から親戚を頼りに和歌山へ。若輩者だった私に手を差し伸べてくれました。

22歳で入社して以来野鉄観光ひと筋です。特に入社当初、右も左も分からなかった私に対し、先輩がご自身の子どものように可愛がっていただいたおかげで長続きしています。出身地の北海道でトラック運転手をしていたものの、冬場はあまり仕事がなく、自身の可能性を広げようと大型2種免許を取得したんです。北海道を出で働きたいとの気持ちが芽生え、和歌山県在住の親戚を頼って出てきました。ただ、当時22歳の私を雇用してくれる会社は皆無でした。当時は、人手不足の現代とは異なり、人が多くいる時代。若すぎて、妻帯者ではない私は信頼感に欠けていたのでしょう。途方に暮れかけていた私に手を差し伸べてくれたのが野鉄観光でした。私の将来性に賭けてくれたのだと思います。観光バス運転手として入社し、現在は運輸課長として運行管理と、後輩運転手の指導・育成がメインです。もちろん、人手が足りないときは自らハンドルを握ります。

指導する立場になって「できる」と「教える」の違いを痛感しました。

後進育成で意識しているのは、自分ができる、できたからといって、新しく入ってきたばかりの人がすぐにできるわけではない、というのを理解して教えることです。指導者になりたてのころは「何でそんなこともできない!」と内心腹立たしく思っていたものの、自分自身もバス運転手になって何でもすぐにできたわけではなく、先輩の親身な指導により、何年、何十年も乗車してできるようになったではないか、というのを指導するうちに思い出せたんです。今では、「練習していたら、できるようになるから」「徐々にできるようになるから、すぐに明日できるようになれと言っているわけではないから、安心して」「先輩から積極的にアドバイスを請いなさい」と伝えています。同時に既存の運転手へ伝えているのは、「入社したばかりの人は緊張しているから、先輩であるみんなからできるだけ話しかけてあげてほしい」ということです。アドバイスを請えといっても新人から先輩へ話しかけるのは結構勇気が要るもの。引き続き新人が先輩に話しかけやすい雰囲気づくりを迎え入れる側がつくり上げていきます。

観光バス運転手はハードルが高い、難しい、そんな意識をなくしていきたい。

観光バス運転手は難しいといったイメージがあるかもしれません。確かに、最近は長距離移動が減ってきているとはいえ、基本的にルートが決まっている路線バスと異なり、観光バスはお客様のご旅行先に合わせるため、行き先が一定ではないところに抵抗があるのだと思います。でも、逆に観光バス運転手は、お客様をご旅行先にお連へして、日本各地のさまざまな場所に行けるので、毎日が新鮮で飽きないというか、とても楽しい、そう感じる運転手も少なくありません。私もそうでした。先述した通り、受け入れ態勢は万全です。未経験の人はもちろん、経験のある人も含めて誰に対しても、一人で不安なく運転できるようになるまで親切、丁寧に指導し、いきなり「さぁ、一人で乗って」なんて放り出したりはしません。実際、私自身も北海道から出てきて、運転手を経て、今こうして指導者として長年やっていけています。面倒見のいい先輩が、しっかりサポートするので安心して入ってきてください。

一生の思い出作りのお手伝い。定年まで走りたい。

田口 真規
観光バス運転手
2004年入社

旅行好きが高じて観光バス運転手へ。営業との二刀流から運転に専念できる環境を求めて。

現在と同じく前職も観光バス会社で勤務。今と違うのは営業職と兼務していたことです。バスの運転だけに専念したいとの想いが、当社への転職を後押ししました。実際に入社してみて、まさに求めていた環境だったんです。観光バス業界に入ったそもそもの理由は、単純に私自身が旅行好きだったから。一人でもフラッと旅に出るくらい好きです。観光バスの運転手は私のような旅行好きや、車が好き、運転が好きといった人が多いのではないでしょうか。当社で働く魅力に、休日の取りやすさもあります。運行シフトを組む前に休みの希望を申請すれば柔軟に対応してくれるので本当にありがたいです。もちろん、10月11月の繁忙期は別ですが、おかげで子どもの学校行事にも参加できるようになりました。好きな旅行にも行きやすく、趣味と実益を兼ねた天職です。

お客様の思い出づくりをお手伝いできる。これに勝る喜びはありません。

南は九州から北は東北まで、入社して以来、数多くの観光地へお客様をお連れしてきました。実は、自身の息子の遠足や、京都への修学旅行でも運転したんです。息子をはじめとした小中高生にとっての修学旅行はもちろん、旅行は誰にとっても一生の思い出になるもの。そんなかけがえのないの思い出づくりのひとつをお手伝いできるところが、観光バス運転手の一番大きなやりがいです。また、どの仕事も私にとっての思い出でもあります。ハンドルを握っていて特に印象に残るのは、お客様の笑顔です。その笑顔を曇らさないため、できるだけ丁寧な運転は心がけています。せっかくのご旅行を車酔いで台無しにしてほしくないから、少しでも車酔いを軽減できるよう、なるべく揺らさず、居心地の良い運転を。「いつもは車酔いするけど今日は酔わなかった」といったお声をいただければとてもうれしいですね。

奥深い観光バスの運転。身体が動く限り、現場で追求し続けていきます。

観光バス運転手として、20年以上経ちますが、観光バスの運転は奥が深いなと感じます。長年かけ運手技術を磨いてきたものの、まだまだ諸先輩方には及びません。定年まで勤められたある先輩を目標としており、その方は複数台での送迎時の先頭が上手でした。先頭は速度を一定に保ちながら、後続のバスを気にかけ、さらにはルートも決定するなど考える要素が多く大変です。いつも「先輩のように、しっかりみんなを引っ張れているかな」と思いながら業務にあたっています。早く追いつきたいですし、同じように観光バス運転手として定年まで走り抜くことが目標です。そう、いつまでも現場がいい。実は、会社から運行管理への転身の打診がありましたが、断っているんです。運転できる体力とか技術がある限りはずっと現場でやっていきたい、一生の思い出づくりのお手伝いをずっとしていたい。それが心からの願いです。

これまでも、これからも、すべてはお客様のため、会社のために。

楠木 明弘
観光バス運転手
2018年入社

私たちにとっての日常は、お客様にとっての非日常。大切な1日を満足いただけるよう努めます。

以前も観光バスの仕事をしていました。地元が有田市で、知人からクリスタル観光バスの評判の良さを聞き、当社に興味を持ったのが入社のきっかけです。観光バスの世界に入ったのは、実家が板金塗装業を営んでおり、幼少のころから車に慣れ親しみ、自然と車好きになりました。観光バス車両の作業依頼もあり、「カッコいいな、乗ってみたいな」との気持ちが湧き上がり、免許を取得。高校時代の同級生に誘われたのを機にバス運転手になったんです。当社で仕事を始めて、姪の修学旅行で運転手を務めました。とても印象的な出来事ではあるものの、私にとってどの仕事もすべて同じくらい大事です。一期一会ではないですが、たまたま機会があって運転させてもらって、旅行されるお客様はお金を貯めて、予定を立ててご旅行を楽しみにされています。私たちにしたら365日ある内の1日に過ぎないかもしれませんが、お客様とっては大事な一日。それを常日頃から意識してハンドルを握っています。

主役はお客様、運転手は黒子。いい意味でも目立たぬよう、慎ましく丁寧な運転を。

お客様から「次もお願いします」って言われるとこの仕事をやっていて良かったなと思います。ただ、バス運転手は黒子であるべきというのが持論です。「あの運転手あかんかったわ」と言われるほどの悪目立ちは当然良くありませんが、良い印象も残す必要はなく、何事もなく無事にご旅行を楽しんでいただく。主役はお客様、決して私たちではありません。黒子に徹するために、とにかく運転を丁寧に。車線変更、ブレーキ、加速、シフトチェンジ、といった操作をお客様が気づかれないくらいに行うことを心がけています。先輩には私よりも上手な人がたくさんいますが、少しでも追いついて、お客様にバスでの移動をより快適に感じていただけるように精進し続けます

お客様のために、会社のために、できることも、やりたいこともたくさんあります。

お客様との対話、気配り、運転技術…私には、もっともっとできることがある、まだまだ伸びしろがあると思っています。向上心は常に持ち続けたいですね。2020年の感染症拡大期は月に1回、2回しかバスに乗る機会がない時期もあり、乗車回数が収入と直結する運転手にてとって苦しくないはずがありません。正直、転職を考えたことがありますが、会社ができる限りの補償をしてくれて、逆に会社のことを心配するほどでした。感染症拡大期に会社がやってくれたことに対し非常に感謝していて、恩返しではないですが、会社に少しでも貢献できるよう仕事していきたいと思うようになりました。そのためには、リピーターのお客様を獲得し続けなければなりません。営業スタッフがいただいてきた仕事に対し私たち運転手がベストを尽くすことで、「この前使ったバス会社、良かったで」と口コミで広がり、新しいお客様、新しい仕事にもつながる。これからも好循環のサイクル、回し続けていきます。